【推しの子】解釈・考察編2 「星と光」からみる有馬かなと星野アクアの関係について

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さて、前編に引き続いて第2回。

【推しの子】解釈、解説回〜~!!!

まあ、誰も読んでいないと思いますが。

解説に入る前に、基本的なスタンスについてですが、

ちなみにどの作品の感想・解説についても、作品を基に個人の主観と思考と空想を展開しただけのもです。

絶対これが正しい!というものではありませんし、他の人の読み方や考えを否定するものではまったくないということです。

あくまで、個人の感想です。

尚、ネタバレを含みますので、まだ読んでいない方で気になる方はお控えください。

星野アクアと有馬かなは相互に「光」として描かれている

主人公星野アクアと有馬かなは、互いに「光」として描かれています。

※前回書いた申し上げたとおり、「光」は「星」という意味もしくは表現を含みます。

光は主に相手に「希望をもたらすもの」という意味合いが含まれていることが多いです。

『今日は甘口で』の場合

『今日は甘口で』では、主に2重の意味で光が描かれます。

ヒロインの台詞『それでも光はあるから』を中心としたドラマと、

アクアと有馬かな(特にかなから見た場合)がお互いに「光」として認識するという二層構造になっています。

〇ドラマの光と闇

『今日は甘口で』は光と闇を作ることによって、ヒロインの涙(光)が輝くように持っていく流れです。

このことは、

「このシーンの一番の見せ場はヒロインの涙

そこの一点が輝くように俺が『闇』を演出する」

2巻#020 アクアの演技シーンより

というアクアの台詞からもわかります。

泣きの場面がハイライトになるわけです。

アクアがストーカー役をうまく演じることによって、ヒロインの涙、つまり有馬かなの演技にも同時に光が当たるようになっています。

〇作者は「光」って言わせたい

これは私の主観ですが、「それでも光はあるから」(2巻#020)という台詞自体にそもそも違和感があります。

ストーカーに襲われて言い返すときは、「大事な人がいる」とか、せめて「希望はあるから」とか、

もう少し直接的な言葉を選ぶはず。

にも関わらず、光はあるから」と中心となる台詞をわざわざ暗喩で作るのは、

どうしても「光」って言わせたいからだと思います注意主観です)

今日は甘口で」の中心を「光」で集約したいというこだわり、と感じました。

〇有馬かなから見た「光」

有馬かなから見たアクアは、2つの意味で「光」です。

一つは、ドラマの救世主としての役割です。

「今日は甘口で」のドラマについて、有馬かなは「これが結構なクソ作品」(2巻#020)のと言っており、アクアのことを「藁」(溺れる者の希望の意味)と表現しています。

そして有馬かなの期待以上の働きをアクアがしてくれることで、ドラマの最終回は成功します。

また、自信の芸能活動については「闇の時代」「前も後ろも真っ暗な世界」(2巻#019)と語っています。

有馬かなのこの発言を受けるような形で、ドラマもアクアのアドリブ(多分)の台詞が入ります。

お前なんて誰にも必要とされてない

身の程わきまえて生きろよ

夢見てんじゃねえよ

この先もろくなことはない

お前の人生は真っ暗闇だ

(2巻#20 アクアの演技シーンより)

そして、この台詞に対して「それでも光はあるから」と返す有馬かな。

ここでの「光」は同志としてのアクアのことと、

女優としての彼女の才能(=涙=光)という内容ががこっそり描かれているように感じます(主観です)。

アクアが誘ってアイドルの道に進み、女優としての才能も再び輝きだす流れになるので、

芸能人のキャリアという面から見てもアクアは希望をもたらしたということができるでしょう。

つまり、有馬かなが絶望的な状況の中で「アクア」(宝石、輝くもの=光、転じて希望)を発見するというのが、『今日は甘口で』の内容です。

〇アクアから見た場合

アクアから見た場合は、まず有馬かなの中に才能(光)を見つける回だと思います。

「そういや得意技だったな」(2巻#020)

といっているように、見せ場の部分では有馬かなの演技力に感心しているのがわかります。

また、このドラマのすぐ後にアイドルとしてスカウトすることから、

一定の魅力が感じているのがわかります。

また、キャリアの面においても、

裏方志望だったアクアが、アイが望んでいた役者としての活動をスタートさせるため、有馬かながアクアの道を切り開くきっかけになったのは間違いありません。

個人的には、希望の光(アクア)が闇を演じるというこの矛盾した感じが作者さんらしいな、と思います笑

JIF(アイドルフェス)編(4巻#045)

さて、アイドルフェスの場面においても相互の光の関係は継続しています。

有馬かなのサイリウムの色は「白」まさに光の色そのものです。

そして暗いであろう客席の中から、自分の色(=光)を探している有馬かな。

自分のファンがいないことに絶望を感じているところに、自分のサイリウム(=光)を持っているアクアを発見する、という流れですね。

これで有馬かな→アクア(光)が発見されているということができます。

〇大事な場面はきらきらしてる

きらきらって何やねん、って思った方。

今から解説します。

漫画の描写について詳しくないので書き方に語弊があるかもしれませんが、

この場面では、アイドルとして活躍している状態だと、コマに光の粒のようなきらきらが描かれ、砂がかけられたようになり、書き方がなんとういか若干劇画チック?になります。

(すみません、漫画の描き方に詳しくないもので(-_-;))

例えば、有馬かなの表情が固いことに気づいたルビーが笑顔を促すコマもそれに当たります。

そこを踏まえてみると、有馬かなにアクアが「アンタの推しの子になってやる!」と指をさされる?場面で動揺しているのが表情がアップで写され、

有馬かなは全体がきらきらとした光で埋められ、勢いのあるコマとして描かれています。

この場面以降、数コマある3人の様子にはこのきらきらが描かれます。

また、アクアの驚きの表情の後、有馬かなの手からひときわ大きく輝く星が見えるのは、

彼女の手の中には星がある」とか、「これから飛躍する」などの示唆です。

はっきりと書かれてはいませんが、アクアが有馬かなをアイドルとして魅力を感じていると取ることができます。

アイドルフェスのこの場面は、作者さんがかなり作りこんでいて非常に面白い構造になっているので、後日解説を書きたいと思います。

『東京ブレイド』編

東京ブレイド編ではわかりやすく、「誰が誰に」光を当てるのか、という話がポイントになります。

本番で黒川あかねの演技に対して一歩引いた有馬かな。ここでは有馬かながスポットライトを黒川あかねに当てています(7巻#074)。

最終的にはアクアがスポットライトを有馬かなに当てています(7巻#075)。

ここはめちゃめちゃわかりやすいですね。

そしてその後、パニックになりながら子供の自分と自己対話しているアクアの台詞の中で、

『有馬かなに光を見たか』(7巻#078)

との文言があるので、アクアから見ても有馬かなが光として捉えられているのがわかります。

アクアから見た有馬かな 補足:恋愛感情について

この作品の前半戦、アクアから有馬かなへの好意は直接は語られません。

が、ところどころ「ん?」と思う箇所があります。

例えば、『今からガチ恋始めます』では、黒川あかねに対する感情を悩んでいるアクアが、

有馬かなとキャッチボール&会話することで

「黒川あかねに対する感情はそういうのじゃない」(3巻#035)

といっています。

正直、なんでその話の流れで恋愛感情がないってわかるの?って思いました。

ここで考えられるのは、好意を持っている相手と過ごしたから、恋愛感情じゃないと分かった

ということではないでしょうか。

終わりに

これで星と光とアクアと有馬かなについては一旦終わります。

説明がわかりにくいので読みづらいところもあったかと思いますが、

興味を持っていただけたら次回も読んでください!

次回はアイドルフェス編補足、さらに次は古事記ネタになる予定です!

それでは、本日はこれにて。

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