『ミラベルと魔法だらけの家』書き足りなかったので考察を追加します

※アフィリエイト広告を利用しています

先日に引き続き『ミラベルと魔法だらけの家』について感想及び考察を書いていきたいと思います!

前回書いたのと似たような内容もありますが、興味がある方はぜひお立ち寄りください。

※今回は、しょっぱなからネタバレありです!

おばあちゃん(アルマ)について

序盤にある従弟のギフトの儀式のあたりから、「このおばあちゃん結構な性格だな・・・」と思っていましたが、悪い予感が当たりました。

というか、序盤の伏線を回収してきたので、さすがディズニーの脚本家!という感じでした。

マドリガル一家について

さて、おばあちゃんの話題が出てきたので、一家についてもよく考えてみたいと思います。

このマドリガル一家はおばあちゃん(夫は既に死亡)が中心に形成されています。

おばあちゃんの子供は三つ子で、ぺパ(ミラベルのおば)、ブルーノ(ミラベルのおじ)、フリエッタ(ミラベルの母)です。

ブルーノはある日失踪し、兄弟はぺパとフリエッタしかいません。

ここで面白いのは、ぺパもフリエッタも結婚したのに自分の家で暮らしているということです。

そう、二人は婿取りをしたのです。

つまり、おばあちゃんは二人のギフト持ちを自分の家から出すことはしなかった、ということが分かります。

イサベラについて

じゃあ、イサベラはどうなの?という疑問が起きてきます。

イサベラは隣人のマリアーノと婚約する予定ですが、その席でおばあちゃんが『両家が一緒になればエンカントも安泰です』と言っています。(50:10)

よくよく見るとマリアーノの母親の服装も裕福そうですし、冒頭に出てくる親子も2階建ての家に住んでるので、家自体はかなり余裕のある家ではないかと見受けられます。

イサベラが嫁に行くのか婿取りをするのかは分かりませんが、ここで語られているのはいわゆる「政略結婚」的な要素でしょう。

ブランドイメージ担当

おばあちゃんが仮に嫁に行くのを許したとして、ぺパとフリエッタとは何が違うのでしょうか?

それは、イサベラの担当が「ブランドイメージ」だからです。

イサベラの能力は「花を育てる」というものです。しかも、映画の中では「作物を実らせる」という行動は見られません。

つまり、実利はほとんどないので、家から出しておばあちゃん(アルマ)の指揮下からいなくなっても問題ない、ということになります。

イサベラの役割はギフトや美しさによって、マドリガル家のイメージアップを担うのが彼女の期待される役割なのです。

そして、裕福な男性と美しい女性が結婚するという完璧なイメージと、政略結婚による実利があれば嫁に行くか婿を取るかは大きな問題ではない、ということなのではないでしょうか。

実利的なギフト

イサベラの能力が実利的ではないという話をしましたが、じゃあ他の家族はどうなの?という点について説明しておきます。

・フリエッタ(ミラベルの母):けがや病気を治す(医療)

・ぺパ(ミラベルのおば):天候を操るギフト(作物の安定供給)

・ルイーサ(ミラベルの姉):力持ち(単独で公共事業可)

・ブルーノ(ミラベルのおじ):予言者

この上の3人がいるだけで、町を簡単に牛耳れるということはすぐお分かりになると思います。

医者と土木事業を一人でできる逸材と、作物の安定供給(天候のコントロール)ができれば、これほど住みやすい町はありません。

逆に言えば、これらのギフトを手元から失うのは痛手ですし、悪用されると悲劇が起きます。

フリエッタとぺパが婿取りをしたうえに、結婚相手が尻に敷かれるタイプなのは、野心的な男性に嫁にやりたくないし家に入れたくない、という思惑もあったのではないでしょうか。

そういう意味では「ギフト」の意味がもろに家父長制的な意味合いになってくるのも興味深い部分です。

地元の名士:アルマ

おばあちゃん(アルマ)自身はギフトはないものの、子供のギフトを活用することによってマドリガル一家は地元の名士となりました。

もしおばあちゃんが悪い人だったら恐怖政治を引くところです(笑)

自分が迫害されたので、自分たち家族に与えられた「安全」という奇跡に対しての恩の気持ちが強かったことと、同じような境遇の人に対する共感があったことが大きいでしょう。

おばあちゃんが冷たい理由(独断と偏見)

おばあちゃんがミラベルにちょっと冷たい理由を考えてみました。

〇自分たちのイメージにひびが入る

既に50年町で暮らし、町長みたいな役割をしているであろうおばあちゃんにとっては、「ギフトがない一族」というのは外聞が悪い存在です。

これまで築き上げたものに傷が付くのがいや、という感情ですね。

〇魔法が消えるという恐れ

孫の一人がギフトを与えられなかったということは、おばあちゃんにとって『もしかしたら魔法が弱まっているのでは?』とか、『自分の道が間違っているのでは?』という恐怖をもたらしたのかもしれません。

ミラベルを見るたびに、安全な住処を追われる恐怖を思い出すとしたら、冷たくする理由にも納得ができます(いいとは言ってない)。

映画内で語られているのはこの部分です。

〇おばあちゃんに必要なのは「ギフト」

一家の中でおばあちゃんもギフトを持っていません。

ギフトがあるのは、あくまでおばあちゃんの子供や孫たちだけです。

おばあちゃんはギフトを持っている子供たちを指揮することで町に貢献してきたにすぎません。

そして一家の中でミラベルに一番冷たいのはおばあちゃんです。

イサベラとは仲が悪いですが、この一家の中にミラベルを批判するような態度を取る人間はいません。

おばあちゃんの長年の暮らし方から考えれば、町に貢献するために必要なのは、ギフトであってミラベル個人がどうこうということではないのです。

そして、この自分がギフトを持つ子供たちを指揮することで貢献するというやり方は、「家族が自分に従って当然」という意識になり、家族を窮屈にさせていくのではないでしょうか。

代がわり

ミラベルがギフトを与えられなかったのは、カシータ(魔法の家)を与えられる人間はギフトを持たない、という設定だからです。

どうしてそうなるのかは分かりませんが、ギフトを手にすることで特別な自分に陶酔したり、弱い人に冷たい態度を取らないようにする、ということが求められるのかもしれません。

いわゆるノブレス・オブリージュ(富める者の義務)を果たせる人間であるべき、という設定であるとしかいいようがありません(笑)

なので一家の中で奇跡を与えられる人は、家族を愛し他人に優しく親切な人間でなければなりません。

なぜなら、その人が人より優れた能力を持つギフト持ちの人間を指導し統率していかなければならないからです。

いわば強靭な手足をもつ動物の頭及び良心、というわけです。

50年君臨したギフト持ち達のリーダーであるおばあちゃんの力(共感、親切心、他者への尊重など)が落ちてきたので、新しいリーダーへの代替わりをしている、というのがこの作品の一つの側面です。

終わりに

さて、いかがでしたでしょうか。

書き始めたらすごく長くなってしまいました(-_-;)

エンターテイメントとしてもとっても良い作品なので、視聴推奨です!

それでは、本日はこれにて。

コメント

タイトルとURLをコピーしました