【推しの子】最終話まで読みました記念3。非ざるもののヒューマニティ。

コミック

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みなさん、年の瀬ですが元気にお過ごしでしょうか。

すずやは今朝通勤しているときにつらつら【推しの子】について考えていたのですが、

やっぱりなんというか、飲み込めたと思っていたものが飲み込めなかったということが分かったので、

最終話まで読みました記念3を書くことにしました。

本日の方針

本日もすずやの感想オンリーとなります。

傍目に見るとかなり批判的ととられるような内容になりますので、

【推しの子】を絶対肯定したいというファンの方は、ブラウザバックしていただくことを推奨します。

尚、すずやとしては批判をする意図はなく、本編の何を変えてほしいとかこうあるべきとかを語るつもりはございません。

【推しの子】がすごく面白い作品であると感じたことや、昨日アップした感謝の意が嘘であるとかそういうことはございません。

また、死んだ人間の分まで生きていくという生き方を批判している、否定しているものでもございません。

あくまで作品のみにおいて、こう思っている、ということを書いておりますので、ご了承いただければ幸いです。

サイボーグのヒューマニティ

【推しの子】のラストについてつらつら歩きながら考えていたのですが、自分の中で違和感のある部分をタップし続けた結果、

あかん、グロい・・

という結論になって今朝がた一人打ちのめされておりました。

何がそんなにもグロテスクに感じたのかというと、終了記念1と2で申し上げたように、この作品はレギュレーションがあります。

この世には善意があるということと、悪意や人殺しを語っても地獄のような搾取や悲惨さや、理解不能な絶対悪については描かれることがありません。

それはそれで物語のスタンスとして何が悪いというものでもないのですが、物語が善なるスタンスで進んでいくのにもかかわらず、

ラストでは一人の善意の人間が死を選び、その死によって周囲の人間が救済される。

残されたキャラクターは彼の死を背負って生きることで輝き、作者は読者に「辛いことに耐えて一生懸命頑張ろうね」って語るんですよ。

これ、グロくないですか?

途中まで善意のスタンスやったやんけ、と思ってしまいます。

最初から善意で最後はハッピーエンドなら分かりますし、最初からひりひりするくらい現実的でこのラストならもっとスッと受け入れられると思うんですよね。

途中までなんだかんだ善人スタンスだったのに、最後になったら一人が犠牲になりそれを踏み台にしてキャラクターが輝いてそれを込みで作者が目的を、しかもこの作品の一番強いメッセージを伝えるという目的を達成するんですよ。

良い子の路線で走ってきたのに、どうしてラストになったら「最大多数の最大幸福」の権化みたいなやり方になるのか

マ ジ で 理 解 で き ん ( ;∀;)

作者の方々には大変申し訳ないのですが、すずやには【推しの子】の良い子路線は、サイボーグやサイコパスのヒューマニティにしか見えないんです。

人工知能とかね。

普段人間に優しいけど、ひとり死ねばみんな幸せになるよね?って分かったら即人を刺し殺してるみたいな。

もう一回言いますが、善意で走っていってこのラストになる、しかも悩む気配もなく曇りなきまなこで思いっきり行ったというこのねじれが純粋に怖いです。

地獄への道が善意で舗装されているものなら、天国への階段は善意の屍でできているとでもいうべきなんでしょうかね・・。

黒川あかねへの文句

黒川あかねは自分の手を汚さないとかさんざんすずやは言っていたわけですが、これは不当だったなと思っています。

一人手を汚す人間がいればこの物語はすぐ終わるので、黒川あかねが暴走するはずもなかったんですよね。

黒川あかねがカミキヒカルを殺していたら、3分の2くらいの長さで【推しの子】は終わっていたでしょう。

というか、せめてカミキヒカルが成人してる設定だったら、警察が逮捕してくれてハッピーエンドになったのかもしれませんが、未成年にしたのはアクアとの心中を最初から予定していたのかな?とも思います。

終わりに

とりあえず一通り書くことができてすっきりしました。

今回こういった内容を書きましたが、他の読者の方の感想や意見をなんら否定するものではありません。

すずやにはこう見えた、というだけの話ですので、気に入らない方は無視していただければ幸いです。

それでは、本日はこれにて。

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