さて、本日は引き続き『SHOGUN』です。
第7話のあたりの鞠子の台詞が面白かったので、書いてみました。
ご興味のある方はご覧ください。
※本編のネタバレを含みます。気になる方は全編を視聴の上ご覧ください。
鞠子
どこからが本当でどこからが嘘なのかわからない。まさに八重垣を作って自分の心を読ませない人物・・と最初は思っていたのですが、物語が進むにつれてどんどん感情が分かりやすくなっていきます。
とはいえ、彼女は虎永との通訳のとき以外は正確に通訳しないなど、強かな面も持ち合わせています。
例えばChapter4でジョンが藤に贈り物をしますが、彼女に対する誉め言葉やその銃がどれほど素晴らしいものかという内容は伝えません。
それはもしかしたら、日本の伝統にそぐわないからという理由かもしれませんし、藤とジョンの仲がよくなると都合が悪いから、というものかもしれません。
また、鞠子とジョンが結ばれた際に二人の仲は藤も承知の上であるようなこと言ってますが、これも嘘っぽいよな~と思っています。
この作品全般、鞠子に限らずですが、本音と建て前が別で本音の部分を描き切ることはしません。
そのため、悪く言うと奥歯にものが挟まったような、何考えてるか分かりにくい、感じになります。
一昔前の、西洋人の日本人に対する論評みたいです(笑)
藤と鞠子
そもそも、虎永がジョンの正室に鞠子ではなく藤を指名したのは、通訳である鞠子とジョンが親密になるのを防ぐためでは?と思っています。
万が一鞠子が裏切者に取り込まれた場合は都合のいい話をジョンに吹き込むことができますし、親密になりすぎてジョンに取り込まれるようなことがあってもならないからです。
人を信じない虎永らしい采配です。
実際、鞠子はジョンの動向を記した書き付けを虎永に渡しており、一面では間者のような働きをしています。
流石に男女の関係になったことまでは書かないでしょうが、鞠子ならなぜ藤を正室にしたのか薄々気づいていそうなので、なおさら報告することはできないでしょう。
第7話でブチ切れられる
虎永が鞠子にChapter7(42:42-)でブチ切れられているところを見て、あーやっぱり・・・と思ったすずやでした。
虎永からしてみれば、あえてジョンと鞠子を近づきすぎないように注意して采配した?のに無効になっている上、自分の忠実な部下であり鞠子の夫でもある広勝が嫉妬しておかしくなっています。
また、以前にはなかった通訳する際にジョンと言い争う(Chapter6 14:35-)場面というのは、通訳を行うという役目よりも自分の思想・感情を優先し始めているように見えます。
虎永の「父の敵と戦うわしの側におるのか、それとも蛮人の側におるのか』というのは、義(公)に生きるのか私に生きるのか、という生き方について問われています。
『SHOGUN』版 ” To be, or not to be,” ですね。正しく生死に直結する大問題です。
しかもこの場合は、侍(の娘)として名誉ある死を目指すのか、自分を優先して恥辱の中生きるのか、
名誉ある死は正であり、恥辱の生を邪とする日本的な価値観によるねじれも感じます。
「果たしてどうあるべきでしょうか?」(そしてあり方が行く道を決定する)という訳です。面白い。
尚、虎永への返答である「殿に心からの忠義を尽くして参りました。されどどうか(中略)苦しみの川で溺れ続けることに似ておりまする」
という台詞は、死にたいけど生きていたくもある(それはジョンがいるからである)という意味ですね。
そして鞠子が限界であると悟った虎永が、鞠子の死に場所を用意してくれるという流れです。
すずやの全く根拠のない個人的な意見として書いておきますが、Chapter10で虎永が『あやつ(按針)を殺してしまおうと思うたことは何度もあった」(51:33-)の内の一つはここではないかと思っています。
鞠子とジョン(按針)のどちらを生かすか選択せざるを得なかったからです。
終わりに
さて、本日はいかがでしたでしょうか。
参考になれば幸いです。
それでは、本日はこれにて。

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